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zoom RSS 6月15日は。

<<   作成日時 : 2009/06/15 22:25   >>

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なにげに、何かの日だろうとぐぐってたら、気づいたのですが、近代史的には、ちょとした、事件の日だったようです。半世紀ほど、前ですが。
そう、私の行ってた大学は、当時としては、学生運動のさかんな学校でした。
大きなイベントの時、ヘルメット&マスクな闘争スタイルの学生と、機動隊が背中合わせに牽制し合っているような(笑)。

つか、バブルの真っ最中に、何、時代錯誤な(核爆)。

まぁ、そんな学校でしたので、いろいろと、近代史には興味を持ちましたね。

その中で、必ず名前の出てくる人。
故・樺美智子嬢(享年22歳)の命日が、6月15日だそうです。

彼女、てっとり早く略すと、1960年の安保闘争の時、国会議事堂前でデモに参加したところ、参加者が多すぎたのが災いして、圧死しちゃった人です。
安保絡みの死者第1号でもあります。

一応、若い人のために説明しておきますが、安保闘争というのは、日米安全保障条約の延長反対運動からはじまって、労働問題や社会主義革命闘争など、非常に幅広い問題が学生を中心に議論されていたものが、議論闘争だけでなく暴力を伴った闘争としても変化・展開していった事象です。

しかし各種運動にも関わらず、安保条約は延長成立。
その後、闘争に参加した組織同士の対立が激化。
無関係の民間人を含め、最終的に、100人以上の死者を出しています。

ちなみに、さっき、Wikipedhiaを読むと、「平和運動」とも書かれていました。ブラックジョークですか?

おっと脱線。
さて、これ、近代日本史の中では、かなり大きな事件なのですが、大学周辺や都市部の一部で、大きな盛り上がりを見せたものの、周辺地域や地方は静かなもの。

父母や祖父母の世代に聞くと、
「いや、仕事の合間に、テレビ中継で見てたけど」
「特段、日常生活に、どうという問題もなかった」
・・・てな回答が返ってきました。

実際、60年安保、70年安保ともに、直後の総選挙で、安保闘争を支持した社会党・共産党ではなく、安保闘争の攻撃目標となった自民党が大勝していることから、国民に幅広く支持されたものではなかったようです。

私も、安保闘争については、かなり冷淡な見解を持っています。
理由はいくつかありますが、大きな理由は、2つ。

1.参加者(団体)は、他者の暴力を否定しつつ、自らの暴力を肯定したこと。
2.その参加者の多くが、自らの運動・行為を記録・伝承・総括することなく、去って行ったこと。

「1」は、もう問題外なのですが、「2」についても、責任行為として、信義に反すると考えます。
残念ながら、私が出会った安保闘争関係の中心人物が著した書籍等では、うやむやな結果しか、残されていません。
(ただ、資料自体は比較的潤沢なようです)

その後、70年代、80年代。
日本は、世界に冠たる経済大国にのしあがって行きました。

社会の変革を求めて安保闘争を戦ったかつての若者は、自分の否定した社会の繁栄に貢献していたのでしょうか?
それとも、社会の少数派として、自分なりの活動をしていたのでしょうか?

少々、興味はあります。

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